筆蝕の彼方:石川九楊による視覚的文学性と書道芸術の現代的な再解釈

秋元雄史
東京藝術大学 名誉教授

日本、あるいは東アジアには、中国を起源とする漢字を使った芸術がある。文字を書き、その書き振り、美しさを鑑賞する、書、あるいは書道という芸術である。そこに含まれる芸術性は、文字の意味内容を伝える文学的な面と造形を云々する美術的な面がある。漢字は一字でも言葉としての意味内容を発動するが、それがおもしろくて漢字文化圏以外の人々が興味を持ち、中には刺青にしてしまったり、日本のヤンキーと呼ばれる不良少年たちは漢字を当て字で使用して自分たちの力を誇示する。「ヨロシク」というあいさつ言葉を「夜」、「露」、「死」、「苦」とネガティブな意味を持つ言葉に置き換えて、路上のコンクリート壁に殴り書きする。それはことばの本来の意味と漢字一文字一文字が持つ意味合いとの軋轢や筆跡が生み出す奇妙な力であり、ことばの持つ魅力である。

漢字を基にする書のおもしろさは、書かれたことばとその書き振りにある。それは何も出鱈目な言葉の羅列や激しい書き振りということをいっているのではない。ことばを紡いでいく行為や文字を書くという行為を通して人間が入り込んでいるからである。それは一字一字に意味をもつ漢字やひらがな、カタカナを書き連ねていく時に生まれることばの連なりからなる表現の豊かさである。その意味からすれば書は文学に属するとも言えるし、また同時に書かれた文字の造形的な側面から見れば視覚芸術に属するとも言える。まさにこの両面の魅力こそが書の力である。

一方で近代の視覚芸術は絵画と彫刻を中心にして展開してきた。つまり見えるものの再現とその抽象化という流れの中で展開してきた。欧米の古典的な視覚芸術の視点から見れば、書をその領域で捉えるのには少々の論理的な飛躍が必要かもしれない。

ちょうど19世紀末のことである。日本の近代化の中で文化的なジャンルを編成した時期に、絵画や彫刻という概念を適用しながら、日本の書画の類を整理している中で起きたのが、洋画家・小山正太郎と思想家・岡倉天心の「書は美術にあらず」論争である。古典的な美術概念と未だ書の近代的な言説を生み出し得ていなかった時期の論争である。当時は、表題の通り、逡巡しながらも書は美術ではないという流れの中で、美術は定義され、やがて末席に席を置くことになった。

しかし今日では事情が少々異なっている。他の造形言語を貪欲に取り込んできた現代アートが一般化しつつある現在では、ことばや文字を書き連ねるコンセプチュアル・アートやことばと音楽、ことばと身体など、ジャンルを超えたさまざまなバリエーションの芸術が存在する。その中では、書も比較的容易に美術となるであろう。その気になりさえすれば、書は美術の一形態だといっても誰も驚かない。むしろ書の問題は実は書の中にあるといっていい。書は、奇妙に美術の前で逡巡し、躊躇する。

なぜ書は視覚芸術の前線に現れないのだろうか。

確かに戦後に前衛書が誕生し、抽象絵画と接近し、ある時期に世界的な芸術として位置付けられていくチャンスはあった。また活字印刷の普及によって文字デザインが進化して独創的なタイポグラフィーが生まれ、それらに対抗するように書も独自の筆跡や字体を探究してデザインとも距離をとりつつ共存する道を見つけ出せるのではないかと思えた時期もあった。抽象絵画やデザインとの相関関係を指摘することができる同時代性を持っていた時期があったのだ。ところがなぜかそこから後退し、書の内側へ、過去へと戻ってしまったのだろうか。

 

さて、長い前置きになってしまったが、その中で、果敢に書を今日の芸術として位置付けるために努力をしてきた書家がいる。それが、石川九楊である。石川九楊のアプローチは、書道が伝統的な漢字文化の中でどのように進化し、現代の芸術との関連性を築いてきたかをその作品と言説で具体的に示している。

戦後の前衛書を批判的に捉えながら、一人石川九楊はそこから新たな書の道を探ってきた。書を同時代の芸術活動としていかに定着させていくか、本人も言うようにそれは孤独な作業であっただろう。

石川九楊は、書の制作だけでなく、評論も数多く行なっている。出版した書籍の数も相当数に上り、『日本語とはどういう言語か』『書とはどういう芸術か―筆蝕の美学』『書—葉・文字・書』など代表作も多数ある。

ここで挙げた三冊の表題を見ても、どのような視点から書を読み解いてきたかを知ることができる。それは後退した書の世界を一人構築し前進させていく作業のようにも見える。またこれらの言説からは石川九楊の書そのものを読み解くためのキーワードが満載されている。

当然のことだが、書は日本語からなる。『日本語とはどういう言語か』では、日本語の特質を紐解いていった。漢字、平仮名、カタカナの三つの文字から成る日本語の繊細な構造を明らかにしていき、文字依存度の高い日本語の特質を示していく。ここでは書にはなくてはならない日本語の繊細さと表現力の上に書が成り立つという構造を示していく。

続く『書とはどう言う芸術か—筆蝕の美学』には、石川九楊の書に対する解釈が詰まっている。これこそが石川九楊の核心部分であると言えるものだが、それを一言で言えば、書の本質は「筆蝕」だという点である。「筆蝕」は単なる「筆触」ではなく、紙と筆と墨による出来事であり、ドラマだという。そして「筆蝕」は、漢字の変遷とその歴史的な経緯を踏まえた上で意識され、現れる。紙と筆が接するところに書の全ての可能性がある。「数千の毛が蠢いていくというのはすごいことである。数千本の虫の足のような毛筆の毛が、紙の上を動いていく。彫られていくというか。」「声が空気を振動させていくように、数千本の毛が微動している。紙と接しながら、動いていく。速さ、深さというものが、筆蝕。蝕む。『筆蝕』は無限の広がりがある。」これは石川九楊のインタビュー中の生の言葉だが、「筆蝕」への独特の感覚、感性こそが石川の書の核心部分を形作っていて、評論からでは見えてこない書家としての作家性が垣間見える瞬間である。このような言葉の中に制作者のリアリティを感じるのである。

筆先に起きる出来事を何倍にも倍率を上げていくこと。前衛書が「書くこと」を全身運動にしていったのとはまるで逆の方向に、筆先と紙の間で起きる微細な出来事に書のドラマを見るのである。石川九楊にとっての「書くこと」は、この微細な世界にある。

意識は大きな紙と筆を使用する前衛書とはちょうど真逆だろう。まるで顕微鏡で世界を拡大するような意識である。これを裏付けるように作品サイズは比較的小さい。前衛書家が使用する身の丈を超える大型のものではなく、むしろ机の上に乗るサイズである。倍率が異なっている点は注意が必要だ。

最後の『書く—言葉・文字・書』では、前書の「筆蝕」理論をより鮮明にして、楷書の成立を通して「書は筆による刻みである」と喝破する。なぜ楷書体が重要なのかは、次の言葉からも想像できるだろう。

「楷書体こそが人間が入り込んできた文字だからだ。」神と人間の言葉との遭逢の場なのである。「楷書体というのは立体なのだ。左は、細く書く。右側は太く書く。それは奥行きなのだ。横に引く線は、右に上がる。日という字を書くと左が短く、右は長い。楷書体は、人間が入り込む。隷書体までは人間はいない。草書体ぐらいから人間が入り込んでいく。字を書くというのは、彫刻だ。凹ませた石のところにできた陰なんだ。(それこそが)書的空間だ。」

生のインタビューから抜き出しているので、少々のことばの飛躍があるかもしれないのだが、言いたいことはわかるだろう。

書の歴史を踏まえつつ、そこから字体と筆蝕を手がかりに石川九楊の独特の書のパースペクティブを構築しているところに現代の書家としての面目躍如がある。この辺りの解釈は独特であり、また石川九楊の書の世界の核心部分である。

またもう一つ重要なことは、書はことばを書く芸術だという点である。この辺りは一文字書に傾いた前衛書に対する石川九楊の独特の批判的な立ち位置でもあるだろうか。文字でなく、文を書く。言葉を書くという意識である。本来、ことばが連なる世界が書的な空間なのだろう。文字がことばを作り、ことばが文学的な世界を押し広げていく。

「書は文学だ。完成形の文学ではなくて、書というのは文学の始まりなのだ。書は文体なり。書は、絵画のように振る舞う。また音楽のように振る舞うが、書は文学性の芸術だ。書は未然形の文学だ」という。またこんなふうにも例えている。「またそれはちょうど裏側から見た文学とでも言えるものである。」   

この辺りは少し難しい。現代ではもはや手書きの原稿を直接読むということはなくなっている。印刷が普及し、普通に活字になったものを読んでいるからである。書く方も同じで、もはや手書きで原稿を書いている人は一部だろう。文章を書くことは、ただフォント化された文字を選びキーボードを打つだけの作業である。そこでは「手書き」から生まれる表現や表出は削り取られている。少なくとも書くことが身体活動を伴った精神の活動であった時代の「書く」とは明らかに違っている。今時、「文体」にこだわる小説家や執筆家がどれほどいるのだろうか。文体は手書きの中から生まれるものであろう。「文体」とは、私と社会との間を繋ぐものである。

文字を書き連ねる過程での思考の深度や社会化していくプロセスが希薄になっているのは確かなのである。SNS化したことばには私を社会化していくプロセスが皆無だ。結果は私語の呟きである。ほぼ便所の落書きと同様の無責任さと無知が蔓延っているが、もはやそんなことをいう方が古臭いだろう。ことばによって社会と対峙し、自らを鍛え上げる場は失われている。

それを呼び戻そうとしているのが、石川九楊の書の構造であろう。時代の変化の中で削り取られて、失われていくものを手繰り寄せようとする。時代の流れは、全く逆である。ことばはますます軽くなり、人間の思考の可能性を排除している。「文を書く」とはかつてのようにもはや文字を刻みつける作業でも思考する作業でもなくなってしまった。石川九楊は、そこに留まり、ことばを書き続けている。歴史と私の間に書を置き、その間で生きようとする。それが書である、と。

石川九楊は「筆蝕」を文字の肉という。肉の文字。書く文字。それが書であるという。

「筆蝕」という石川九楊の概念は、紙、筆、墨が作り出す独特な出来事やドラマを捉えるものである。彼はこの概念を通じて、書道の物理的な側面と精神的な側面の両方を探求し、文字の構造と動きに新たな意味を与えた。これは、単なる「筆触」を超えたものである。また、書を文学としての始まりとして位置付け、その造形的な側面を通じて芸術としての書の価値を探究してきた。彼の作品と思想は、書が持つ文学性と視覚的な表現の両方を具体的に表している。

石川九楊の書へのアプローチは、伝統と現代性を独自の方法で融合し、書道が単なる過去の遺産ではなく、現代の表現形態としても有効であることを示した。このように石川九楊は書道の伝統的な概念を再定義し、今日の広い意味での美術のフィールドにそれを投げ入れることで、書の持つ新たな可能性を探究し、今日の芸術の文脈においてもその重要性を強調するのである。