大入札会 特集記事Ⅹ 某家旧蔵 画家の手紙

  • 大入札会 特集記事Ⅹ 某家旧蔵 画家の手紙

    5月の思文閣大入札会では、ご縁をいただき、特色のあるコレクションをいくつかお預かりすることができました。
    そのうち、滋賀県某家の日本画を中心としたコレクションは、作家たちに直接作品を依頼していた記録と共に遺っていました。本記事では特別に、その記録である画家たち直筆の書簡をお見せいたします。肉筆の味わいや、依頼者と画家との交流、当時の絵画一枚の料金など、普段はなかなか見ることのできない蒐集の裏側をご紹介いたします。
    なお今回ご紹介する書簡類そのものは、入札会の出品作品ではありません。あらかじめご了承ください。
  • 鏑木清方 「鏑木用箋」と印字された専用の便箋に、鉛筆で書かれています。 鏑木清方は明治11年(1878)、東京・神田に生まれました。浮世絵の伝統を継いだ、近代を代表する美人画の名手です。手紙の年は大正5年(1916)。清方38歳、文展への出品・受賞も続き、精力的に活動していた頃になります。 旧蔵者の方は、清方に画帖用の小品を依頼していたのですが、どうにも仕上がりが遅れていたようです。書簡中で清方は、「漸く昨日出来致し」と画の完成と送付を報告しています。延引の理由は何ということはなく、「小品はつい跡まわしとなりて後れ」たとのこと、清方は謝罪しています。また、潤筆料は支払われていたようですが、依頼者は仕上がりを待つ間に小為替を追加で送っていました。これを受け取っては、料金がこれでは足りないからと完成を遅らせた形になってしまうので、お返しする旨が書かれていました。 絵画の依頼料は定価ではなく、あるいはこうした駆け引きで料金をつり上げる作家もいたのでしょうか。清方はそう思われてはかなわないと、完成報告と共に丁重な断りをいれています。

    鏑木清方

     
    「鏑木用箋」と印字された専用の便箋に、鉛筆で書かれています。
     鏑木清方は明治11年(1878)、東京・神田に生まれました。浮世絵の伝統を継いだ、近代を代表する美人画の名手です。手紙の年は大正5年(1916)。清方38歳、文展への出品・受賞も続き、精力的に活動していた頃になります。
     旧蔵者の方は、清方に画帖用の小品を依頼していたのですが、どうにも仕上がりが遅れていたようです。書簡中で清方は、「漸く昨日出来致し」と画の完成と送付を報告しています。延引の理由は何ということはなく、「小品はつい跡まわしとなりて後れ」たとのこと、清方は謝罪しています。また、潤筆料は支払われていたようですが、依頼者は仕上がりを待つ間に小為替を追加で送っていました。これを受け取っては、料金がこれでは足りないからと完成を遅らせた形になってしまうので、お返しする旨が書かれていました。
    絵画の依頼料は定価ではなく、あるいはこうした駆け引きで料金をつり上げる作家もいたのでしょうか。清方はそう思われてはかなわないと、完成報告と共に丁重な断りをいれています。
  • 鈴木松年 鈴木松年は嘉永元年(1848)、京都で生まれます。豪放な画風から「今蕭白」とも称された、こちらも京都の大家です。堂々とした筆跡は、勇壮な画風とも一致します。 ただし、内容は清方と同じく揮毫がおおいに延引し、申し訳ないとのこと。消印は明治41年(1908)。万博でも高く評価され、大いに名の知られた巨匠はやはり多忙なようです。もはやほとんど出来ているのでまもなく送りますと、書簡は言い訳じみて締められています。 また、依頼者は体調を崩していたようで、そのお見舞いの言葉も贈られています。この書簡から数年後、明治45年(1912)の作になりますが、今回出品される鈴木松年LOT 054《不倒翁図》の賛には、依頼者が病に伏せっているため、その「速起」を祈って達磨図を描いた旨が認められています。長年にわたって温められてきた、画家と依頼者との親交を感じさせます。

    鈴木松年

     
    鈴木松年は嘉永元年(1848)、京都で生まれます。豪放な画風から「今蕭白」とも称された、こちらも京都の大家です。堂々とした筆跡は、勇壮な画風とも一致します。
    ただし、内容は清方と同じく揮毫がおおいに延引し、申し訳ないとのこと。消印は明治41年(1908)。万博でも高く評価され、大いに名の知られた巨匠はやはり多忙なようです。もはやほとんど出来ているのでまもなく送りますと、書簡は言い訳じみて締められています。
    また、依頼者は体調を崩していたようで、そのお見舞いの言葉も贈られています。この書簡から数年後、明治45年(1912)の作になりますが、今回出品される鈴木松年LOT 054《不倒翁図》の賛には、依頼者が病に伏せっているため、その「速起」を祈って達磨図を描いた旨が認められています。長年にわたって温められてきた、画家と依頼者との親交を感じさせます。
  • 竹内栖鳳 こちらは竹内栖鳳の画料領収の自筆覚書です。 竹内栖鳳は、元治元年(1864)に京都で生まれました。言わずとしれた京都画壇の中心人物です。 画題や作品の大きさ、絹本か紙本かなど詳細はわかりませんが、頭に書かれた「金参拾円」を潤筆料として受け取った旨が記されます。明治44年(1911)、栖鳳47歳にあたります。当時の1円を単純に今の金額に換算することはできませんが、警察官の初任給が10円程度であったことを鑑みると、その三倍ということになります。

    竹内栖鳳

     
     こちらは竹内栖鳳の画料領収の自筆覚書です。
    竹内栖鳳は、元治元年(1864)に京都で生まれました。言わずとしれた京都画壇の中心人物です。
    画題や作品の大きさ、絹本か紙本かなど詳細はわかりませんが、頭に書かれた「金参拾円」を潤筆料として受け取った旨が記されます。明治44年(1911)、栖鳳47歳にあたります。当時の1円を単純に今の金額に換算することはできませんが、警察官の初任給が10円程度であったことを鑑みると、その三倍ということになります。
  • 堂本印象 こちらは堂本印象が、表具屋を介して依頼者に届けました。少し丸みを帯びた字が特徴的です。堂本印象は明治24年(1891)京都生まれ。20代で第一回帝展に入選し、その後も圧倒的な才能を存分に発揮しました。 頼まれていた画ができたので、表具屋に渡したとのこと。そこで表装してもらい、納品ということになるようです。同封されていた表具屋の領収書を見ると、印象の尺八(およそ54 cmほど)の表装料、二重箱の代金あわせて35円でした。こちらの手紙は年代がわかりませんが、お持ちの作品をふまえると昭和初期頃、印象40代のやりとりかと思われます。この頃の警察官の初任給は40円程度、表具だけでおよそひと月分になります。潤筆料は書かれていませんが、別で遺されている昭和8年(1933)の印象の執事からの書簡に、お申し越しの尺巾の潤筆料は花鳥画あるいは風景画であれば250円、尺三なら400円、人物画は別という記載が見られました。この書簡の作品も似たような時期と考えると大変な金額が想像されます。

    堂本印象

     
    こちらは堂本印象が、表具屋を介して依頼者に届けました。少し丸みを帯びた字が特徴的です。堂本印象は明治24年(1891)京都生まれ。20代で第一回帝展に入選し、その後も圧倒的な才能を存分に発揮しました。
    頼まれていた画ができたので、表具屋に渡したとのこと。そこで表装してもらい、納品ということになるようです。同封されていた表具屋の領収書を見ると、印象の尺八(およそ54 cmほど)の表装料、二重箱の代金あわせて35円でした。こちらの手紙は年代がわかりませんが、お持ちの作品をふまえると昭和初期頃、印象40代のやりとりかと思われます。この頃の警察官の初任給は40円程度、表具だけでおよそひと月分になります。潤筆料は書かれていませんが、別で遺されている昭和8年(1933)の印象の執事からの書簡に、お申し越しの尺巾の潤筆料は花鳥画あるいは風景画であれば250円、尺三なら400円、人物画は別という記載が見られました。この書簡の作品も似たような時期と考えると大変な金額が想像されます。
  • 他にも、今回出品作品の作家たちから送られた年賀状や、細かな往復がいくつも遺されていました。出品作品の中には、箱書を伴わないものも多くあります。おそらく画を直接画家に依頼した上で、表装は自分で手配し、箱書を頼まなかったことも多かったのでしょう。
     
    蒐集の過程と、美術史に名を刻む巨匠たちの、我々にもどこか共感できるような生の姿が垣間見えたでしょうか。今、我々が目にするのは作家たちが遺した作品です。しかし作品の裏にはたしかに生きた作家たちが、作品を求め今まで継いできた持ち主たちがいます。来し方に思いを馳せ、コレクションをより身近に、活き活きと感じていただければ幸いです。
    大入札会専用サイトでは、すべての出品作品の精細な画像を確認できます。賛の内容など、ご興味を持たれたことがあればご遠慮なくお尋ねください。
     

     

     

    大入札会下見会 開催概要
    2026年 5月18日 – 5月24日  *入札締切 17:00
    ぎゃらりぃ思文閣 Google Maps
    10:00 – 18:00 *最終日は17:00迄