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三代東山展―宮永家の人々―

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2023年9月16日 - 9月30日
  • 三代東山展―宮永家の人々―

    三代東山展―宮永家の人々―

    この度、思文閣では「三代東山展―宮永家の人々―」を開催いたします。
     
    本企画では、本年米寿を迎える三代宮永東山の新作をはじめ、幾何学的かつ観念的な傾向が強まる80年代の作品、走泥社同人として活躍した70年代の前衛陶芸、渡米からの帰国後、京都国立近代美術館「現代美術の動向」展への出品を機に注目を集め、今なお国内外で高い評価を受ける60年代の作品まで、作家自身のセレクションにより、その制作の軌跡を展観します。三代東山を中心に、初代、二代東山から長男・甲太郎氏と次女・愛子氏へ、京焼宮永家が紡いできた「歴史」と「これから」を感じていただければ幸いです。
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    • 宮永理吉(三代東山)Miyanaga Rikichi (Tōzan III), Mask of three cubes, 1978
      宮永理吉(三代東山)Miyanaga Rikichi (Tōzan III), Mask of three cubes, 1978
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    • 宮永理吉(三代東山)Miyanaga Rikichi (Tōzan III), Mask, 1984
      宮永理吉(三代東山)Miyanaga Rikichi (Tōzan III), Mask, 1984
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    • 初代宮永東山 Miyanaga Tōzan I, Pulling a boat down the Takase River on ceramic tile
      初代宮永東山 Miyanaga Tōzan I, Pulling a boat down the Takase River on ceramic tile
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    • 二代宮永東山 Miyanaga Tōzan II, Flower-shaped incense burner with colored glazed
      二代宮永東山 Miyanaga Tōzan II, Flower-shaped incense burner with colored glazed
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  • 宮永理吉さんがいて, 小 池 一 子
    宮永理吉さんがいて, 小 池 一 子

    宮永理吉さんがいて

    小 池 一 子

     東山窯の一角に理吉さんがいらっしゃる。いつも同じように背を丸めて、小柄な姿がさらに可愛く縮まって見える制作中。ずっと、今も変わらずなのだから驚きを超えている。

     私は1970年代の半ばから理吉さんをフォローして、1984年のモスクワでの企画展にも出品していただいた。影青の器の一式をUSSR時代のロシア人に展示して見せる。オブジェ作品ではなく、生活の美しい道具として。生活を大切にする社会になってほしいとのメッセージを私たち日本の美術館(西武美術館)側は込めていた。旧コミュニスト体制の市民に伝えるのは理吉さん自身が丁寧な生活者であるというところに基点があった。

     理吉さんの彫刻作品にも淡いブルーの陶の傑作があるのだが、あえて同展では器の一式にこだわったのだった。生活を見つめると社会や環境への疑問も湧いてくる。「日本のデザイン 伝統と現代」という企画展は衣食住の領域で、現代の日本ではどのような作品が生まれているかを展示することを主軸としていた。

     

     娘の愛子さんはその頃小学生。やがて美術作家の道を選び、海外研修でエジンバラ留学を果たした折には、ロンドンの私のいた家に泊まりに来て、その時の会話から帰国後初の展覧会の構想も生まれていった。海外の経験も経て、あらためて自分のルーツに目を向けること。どこかの展示会場などでなく、我が家の空間である「創作の場」東山窯に一度戻ってみる。実は公立の窯業試験場で自分でも研修を積んできているので焼きものの成り立ちについては熟知している愛子である。さまざまな体験を積んでいわばエイリアンの感性を備えての着地でもある。そして、主題は音。「貫入」を素材とするものとなった。人間の五感のうちの、聴くという行為を主題としている。それから十数年経った今の愛子さんは第六感とも言えるような領域にも踏みこんで、常にコンセプチュアルな焦点を持つ新作を発表している。

     

     宮永甲太郎さんの仕事で私は大きなインスタレーションのドラマを知ったことがある。それは東京の隅田川に隣接する「食糧ビル」の屋上に作られた土の構築物が誕生した時のことであった。そのビルには佐賀町エキジビット・スペースがあったのだが取り壊されることになり、クロージング記念の「希望の光」展に出品されたものだった。

     蔡國強のプロジェクトに参加するなど甲太郎さんはアーティストの領域自体に視野を広げてきた。理吉さんと東山窯を継承する長男であるための周囲の期待やプレッシャーも多かったと思うが、それらへの回答は独自の創作世界を探し、つくり出すことで静かな説得力を備えてこられたように思う。

     自由に各地を飛びまわる愛子さんの分まで負うかのように、理吉さんを支えながら独特の存在を屹立している基盤にあるのは、持続性といった、生命力の自然の勢いを信じる強さを本来備えている作家の資質であろうと思う。

     

     宮永理吉さんが居て、三人の作家がいる。

     

    (クリエイティブ・ディレクター)

  • 走泥社と日本前衛陶芸

    宮永理吉(三代宮永東山)インタビュー (2020)
  • 宮永愛子・記

    宮永東山窯, 輸出陶器で隆盛を極めた錦光山窯から独立し、明治42年(1909)に開窯 宮永東山窯, 輸出陶器で隆盛を極めた錦光山窯から独立し、明治42年(1909)に開窯

    宮永東山窯

    輸出陶器で隆盛を極めた錦光山窯から独立し、明治42年(1909)に開窯

    初代(1868-1941)は、語学が堪能で海外美術の見識が広かったため、東京美術学校で岡倉天心の助手を、パリでは農商務省パリ万国博覧会臨時事務局に勤めたそうだ。帰国後、錦光山窯へ入るという、陶芸家としては異例のキャリアの持ち主。残された言葉に「とかく邦人は泰西崇拝の迷夢を覚醒し、自国の美術ならびに工芸の真価値を了悟すべし」とあり、時代と自らのルーツを見つめる心意気に、こちらが襟を正させられる。青磁を得意とし、日本最初の陶磁器意匠研究団体である遊陶園に参加。東山の陶号は、初代が居を共にした友人である幸田露伴の命名。

     

    二代(1907―1995)は、若い頃学術研究者を目指していたが、昭和16年(1941)初代の急死により、東山窯を踏襲。研究者としての素養を活かし、文様や釉薬の研究から、新たな作品を生み出した。創作のための研究対象は海外にも及んだ。旅先で集めた石は丁寧に分類され今でも自宅の引き出しに残されている。また繁栄や衰退の渦中にいながらも東山窯、京焼へ愛を注いでいたのは研究者の眼差しあってのことだったのだろう。

  • 宮永理吉(三代宮永東山), 1935年生まれ。

    宮永理吉(三代宮永東山)

    1935年生まれ。

    この度のプロフィール、父のものは普通の作家履歴が良いと思って提案したところ「あんなんはただ機会が書いてあるだけや」といった。そうか、どこに所属したどんな人だというよりもどんな人生を作っているということを伝えたいのかなと理解してみる。今年88歳。今回の展覧会の主役。

     

    1954年より京都市立美術大学彫刻科で辻晉堂や堀内正和らに学ぶ。専攻科時代に行動美術協会展等で陶彫の発表をはじめ新人賞、奨励賞などを受賞。きっと未来にわくわくしたことだろう。1960年に専攻科を中退し渡米。ピーター・ヴォーカスらと交流。帰国後は「現代美術の動向」展 (1964年、1965年、京都国立近代美術館)等に出品し彫刻家として注目を集め、1970年走泥社同人となる。1999年に三代宮永東山を襲名した。

     

    家業、粟田焼、少年時代を過ごした占領期における窯業の状況。彫刻との出会いやゼロの会(1959-1972)への参加。また60年代に渡米したアメリカ滞在の経験。彫刻と陶芸のはざまで自らの創作を模索。走泥社、オブジェ焼き、クレイ・ワークについての思いは今も健在。和歌山大学で教員をしていた時間は長くはないが、今でも学生さんと交流がある。好き嫌いがはっきりしていて、失礼をしている方もいるかもしれないが、その正直なところが好きだという方も多い。りきっちゃん、随分そのままの姿で愛されている。今のところ家族の誰よりも記憶が確かで、オーラルヒストリーを残しておきたい人物だ。ご興味ある方は是非。しかしその際は、長い尺で覚悟を持っていらしてください。展覧会ではここまで向き合ってきた人柄感じる豊かな磁のかたちをご覧いただきたい。

     

    略歴(日)

    CV (Eng)

  • 宮永甲太郎, 1969年生まれ。

    宮永甲太郎

    1969年生まれ。
    父の話が聞こえてこない場所に憧れ、金沢市立美術工芸大学彫刻学科へ。規模の大きい大胆な作風が魅力。責任感と器用さを合わせ持ち、自身が影響を受けた蔡國強さんや金子潤さんのアシスタントを務め、交流を深めた。今回の展覧会では、彫刻と陶芸の間にいることで培った技術を見せてくれる。こんなに父へ愛が深かったのね。現在京都精華大学陶芸専攻教授。2023年コロナ後の出発はギャラリーなかむらでの個展を終えたばかり。主な個展、「脈」(越後妻有大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ-ドラゴン美術館 / 新潟、2006年)佐賀町2000『希望の光』(佐賀町エキジビットスペース・東京、2000年)
  • 宮永愛子, 1974年生まれ。

    宮永愛子

    1974年生まれ。

    東京藝術大学先端芸術表現専攻修了。父周辺から、アートの種類も酔っぱらいの程度も色々あることを学ぶ。「誰かがやったことをやるのは二番煎じや」、といわれて育ち新しい素材の仕事に憧れる。ナフタリンでかたどったオブジェや塩を使ったインスタレーションなど、気配の痕跡を用いて時を視覚化する作品を制作。どんなときも淡々とつくり続けている父の姿にいつも学びを感じている。11月3日(金・祝)~ 2024年1月28日(日)まで富山市ガラス美術館で個展「詩を包む」開催予定。

     

    略歴(日)

    CV (Eng)

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