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三代東山展―宮永家の人々―
この度、思文閣では「三代東山展―宮永家の人々―」を開催いたします。
本企画では、本年米寿を迎える三代宮永東山の新作をはじめ、幾何学的かつ観念的な傾向が強まる80年代の作品、走泥社同人として活躍した70年代の前衛陶芸、渡米からの帰国後、京都国立近代美術館「現代美術の動向」展への出品を機に注目を集め、今なお国内外で高い評価を受ける60年代の作品まで、作家自身のセレクションにより、その制作の軌跡を展観します。三代東山を中心に、初代、二代東山から長男・甲太郎氏と次女・愛子氏へ、京焼宮永家が紡いできた「歴史」と「これから」を感じていただければ幸いです。 -
Highlight
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宮永理吉(三代東山)Miyanaga Rikichi (Tōzan III), Mask of three cubes, 1978View more details
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宮永理吉(三代東山)Miyanaga Rikichi (Tōzan III), Mask, 1984View more details
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初代宮永東山 Miyanaga Tōzan I, Pulling a boat down the Takase River on ceramic tileView more details
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二代宮永東山 Miyanaga Tōzan II, Flower-shaped incense burner with colored glazedView more details
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宮永理吉さんがいて
小 池 一 子東山窯の一角に理吉さんがいらっしゃる。いつも同じように背を丸めて、小柄な姿がさらに可愛く縮まって見える制作中。ずっと、今も変わらずなのだから驚きを超えている。
私は1970年代の半ばから理吉さんをフォローして、1984年のモスクワでの企画展にも出品していただいた。影青の器の一式をUSSR時代のロシア人に展示して見せる。オブジェ作品ではなく、生活の美しい道具として。生活を大切にする社会になってほしいとのメッセージを私たち日本の美術館(西武美術館)側は込めていた。旧コミュニスト体制の市民に伝えるのは理吉さん自身が丁寧な生活者であるというところに基点があった。
理吉さんの彫刻作品にも淡いブルーの陶の傑作があるのだが、あえて同展では器の一式にこだわったのだった。生活を見つめると社会や環境への疑問も湧いてくる。「日本のデザイン 伝統と現代」という企画展は衣食住の領域で、現代の日本ではどのような作品が生まれているかを展示することを主軸としていた。
娘の愛子さんはその頃小学生。やがて美術作家の道を選び、海外研修でエジンバラ留学を果たした折には、ロンドンの私のいた家に泊まりに来て、その時の会話から帰国後初の展覧会の構想も生まれていった。海外の経験も経て、あらためて自分のルーツに目を向けること。どこかの展示会場などでなく、我が家の空間である「創作の場」東山窯に一度戻ってみる。実は公立の窯業試験場で自分でも研修を積んできているので焼きものの成り立ちについては熟知している愛子である。さまざまな体験を積んでいわばエイリアンの感性を備えての着地でもある。そして、主題は音。「貫入」を素材とするものとなった。人間の五感のうちの、聴くという行為を主題としている。それから十数年経った今の愛子さんは第六感とも言えるような領域にも踏みこんで、常にコンセプチュアルな焦点を持つ新作を発表している。
宮永甲太郎さんの仕事で私は大きなインスタレーションのドラマを知ったことがある。それは東京の隅田川に隣接する「食糧ビル」の屋上に作られた土の構築物が誕生した時のことであった。そのビルには佐賀町エキジビット・スペースがあったのだが取り壊されることになり、クロージング記念の「希望の光」展に出品されたものだった。
蔡國強のプロジェクトに参加するなど甲太郎さんはアーティストの領域自体に視野を広げてきた。理吉さんと東山窯を継承する長男であるための周囲の期待やプレッシャーも多かったと思うが、それらへの回答は独自の創作世界を探し、つくり出すことで静かな説得力を備えてこられたように思う。
自由に各地を飛びまわる愛子さんの分まで負うかのように、理吉さんを支えながら独特の存在を屹立している基盤にあるのは、持続性といった、生命力の自然の勢いを信じる強さを本来備えている作家の資質であろうと思う。
宮永理吉さんが居て、三人の作家がいる。
(クリエイティブ・ディレクター)
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走泥社と日本前衛陶芸
宮永理吉(三代宮永東山)インタビュー (2020) -
宮永愛子・記
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三代東山展―宮永家の人々―
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