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昨秋OGATA Parisで展観された細川護熙の世界。
パリの人々を魅了した漆作品に加えて、人の行き着く先に思いを馳せ 、
生み出された新作「しのび壺」をお披露目します。
2024年5月10日(金)-18日(土)
10:00-18:00 会期中無休
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ハイライト作品
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しのび壺
2023年の秋、京都・思文閣の田中大さんから、パリで漆の絵と書、やきものなどの展覧会をやってみませんかとお話があり、久々に重い腰をあげて出かけることにした。漆はまさに日本文化の粋を象徴するものであり、きっと今のパリで関心をもたれるだろうということだった。その展覧会の打ち合わせの折、私がかねて制作中の骨壺もどうだろうという話を持ち出したところ、昔、作家の水上勉先生が書かれたものがあるはずだといって、帰国後その数頁の『骨壺の話』を送っていただいた。
水上先生とは私が熊本の知事の頃からの御縁もあり、先生が骨壺のことを書いておられることに、なにか不思議な因縁を感じた。骨壺、私の場合は「しのび壺」といっているが、葬祭場で白い手袋をはめた人が取り出す白い骨壺はまさに量産品の顔をしていて、誠に味気ないものだと先生は断定しておられる。私もまさにそこから「しのび壺」づくりを思いついたのだが、日本人ほど人生の終着駅を粗略に考えている国民は他にないのではないかと感じている。
いまどきわが国ではほとんどの人が亡くなった後火葬され、ご遺骨は骨壺に納められる。飛鳥時代に始まったという骨を納める容器は、「蔵骨器」などと呼ばれ、当時は土師器や須恵器を転用したものが多かった。記録として残っている最初の火葬は、『日本書紀』に記載のある700年、飛鳥寺・法相宗の道照僧都とされているが、火葬や「蔵骨器」の使用が一般庶民にも普及しはじめるのは鎌倉時代の中期から室町時代にかけてのことである。江戸時代になると、墓地に使われる用地不足解消の観点から、土葬のかわりに火葬を選ぶ民も増えてきた。
明治時代になって、廃仏思想に基づく火葬禁止令が施行されたが、それは2年足らずで解除され、今度は衛生面から全ての遺骨とご遺灰の持ち帰りの義務が通達される。それに伴い、関東では全てのご遺骨を骨壺に納めるようになった。それに対して関西では、のど仏を重視するという観点からご遺骨の一部を骨壺に納めるため、そのサイズに違いがあるといわれている。ちなみに火葬したご遺骨を拾い集めて、容器に入れ地中に納める行為は日本独特なもののようだ。
私はいま、楽や井戸、あるいは須恵器がつくられた備前の土、さらに、漆なども使ってこれまでにない「しのび壺」づくりをめざしている。
水上先生は砂糖入れでも、梅干し入れでも、台所のどこにおいても手を伸ばしたくなるような骨壺をつくりたい。梅干しでさえ入れたくならないものにどうして死後の仮住まいを託す気になるだろうかといっておられるが、その心意気に、私もまったく同感である。
2024年4月
細川護熙
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細川護熙