大入札会 特集記事Ⅳ 横山大観

  • 大入札会 特集記事Ⅳ 横山大観

    令和7年7月思文閣大入札会の開催に先立ち、特集記事を配信します。
    横山大観といえば、富士山をはじめ風景画や樹木草花、動物に至るまで、その生涯を通じて多くの名作を手がけましたが、意外にも今回の出品作(Lot002 横山大観 《舟遊図》)のような人物画は少なく、貴重な品といえます。今回は、大観の人物画に焦点をあて、解説していきます。
  • 近代日本画壇の巨匠として広く知られる横山大観。その描く世界は多岐に亙り、それぞれに大観独自の視点と工夫が凝らされて大観画の魅力となっているが、描いた対象を羅列すると、まず富士山に代表される山を主体とした風景や様々な表情を見せる海の景色。四季折々に、また雨や霧、雪といった気象の変化とともにその姿を変える風景。松竹梅、桜、梅など樹木草花と小鳥や小動物が生み出す細やかな風情等々、枚挙に暇が無いが、大観作品にあって本作品 (Lot002 横山大観 《舟遊図》)のような人物画は意外と少なく貴重な主題の作品である。 近代日本画壇の巨匠として広く知られる横山大観。その描く世界は多岐に亙り、それぞれに大観独自の視点と工夫が凝らされて大観画の魅力となっているが、描いた対象を羅列すると、まず富士山に代表される山を主体とした風景や様々な表情を見せる海の景色。四季折々に、また雨や霧、雪といった気象の変化とともにその姿を変える風景。松竹梅、桜、梅など樹木草花と小鳥や小動物が生み出す細やかな風情等々、枚挙に暇が無いが、大観作品にあって本作品 (Lot002 横山大観 《舟遊図》)のような人物画は意外と少なく貴重な主題の作品である。
    近代日本画壇の巨匠として広く知られる横山大観。その描く世界は多岐に亙り、それぞれに大観独自の視点と工夫が凝らされて大観画の魅力となっているが、描いた対象を羅列すると、まず富士山に代表される山を主体とした風景や様々な表情を見せる海の景色。四季折々に、また雨や霧、雪といった気象の変化とともにその姿を変える風景。松竹梅、桜、梅など樹木草花と小鳥や小動物が生み出す細やかな風情等々、枚挙に暇が無いが、大観作品にあって本作品 (Lot002 横山大観 《舟遊図》)のような人物画は意外と少なく貴重な主題の作品である。
  • 人物画の作例をいくつか挙げてみると、まず前述の東京美術学校卒業制作として発表した《村童観猿翁図》がある。この作品は師雅邦を猿回しの翁に見立て、見物する村童たちの顔が同級生に似ていると評判になった一作で、大観の代表作としてよく知られる《無我》(明治30年)は、頭頂でゆるく髪を結った慈姑頭の幼い童子が、だぶだぶの衣服に大きな草履を履いてあどけない表情で佇む構図だが、我の存在が無い、すなわち悟りの境地を表しており、童子の姿に無心の境地を仮託するというきわめて斬新な着想によるものであった。それまでの日本画における人物画の主題は、史書や説話等に登場する歴史上の人物や偉人がほとんどであったが大観は全く新しい視点から人物を捉え、《無我》はその濫觴作といえる一作である。  一方、翌31年第5回日本絵画協会・第1回日本美術院連合絵画共進展に出品された《屈原》は、東京美術学校紛擾事件で同校を辞職した師岡倉天心の姿を讒言にあって荒野を彷徨う屈原に重ねて表したものとして物議を醸したが、天心の姿は、下村観山《天心先生》や平櫛田中《天心先生記念像試作》など、天心とともにその時代を生きた人々による作品や写真にも残されており、《屈原》や本作品の舟中の人物には天心の面影が表されている。

    横山大観《無我》(東京国立博物館蔵

    出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

    人物画の作例をいくつか挙げてみると、まず前述の東京美術学校卒業制作として発表した《村童観猿翁図》がある。この作品は師雅邦を猿回しの翁に見立て、見物する村童たちの顔が同級生に似ていると評判になった一作で、大観の代表作としてよく知られる《無我》(明治30年)は、頭頂でゆるく髪を結った慈姑頭の幼い童子が、だぶだぶの衣服に大きな草履を履いてあどけない表情で佇む構図だが、我の存在が無い、すなわち悟りの境地を表しており、童子の姿に無心の境地を仮託するというきわめて斬新な着想によるものであった。それまでの日本画における人物画の主題は、史書や説話等に登場する歴史上の人物や偉人がほとんどであったが大観は全く新しい視点から人物を捉え、《無我》はその濫觴作といえる一作である。
     
     一方、翌31年第5回日本絵画協会・第1回日本美術院連合絵画共進展に出品された《屈原》は、東京美術学校紛擾事件で同校を辞職した師岡倉天心の姿を讒言にあって荒野を彷徨う屈原に重ねて表したものとして物議を醸したが、天心の姿は、下村観山《天心先生》や平櫛田中《天心先生記念像試作》など、天心とともにその時代を生きた人々による作品や写真にも残されており、《屈原》や本作品の舟中の人物には天心の面影が表されている。
  • 本作品は、生い茂る葦の様からすれば岸近くなのだろうか、船縁に肘を掛け、長閑な気分で舟遊びに興ずる高士は、頭上を飛ぶ二羽のカササギを見上げることもなく、進行方向に視線を向けている。箱書きにある通り舟遊びの一景を描いたもので、高士の舟遊びをいうとまず、北宋の文人蘇軾(蘇東坡)が友人楊世昌ら三名で赤壁に遊んだ様子を詠んだ「赤壁賦」が思い浮かぶが、本作品においては古戦場として有名な赤壁あたりの景勝地とは異なり、穏やかな流れがゆったりとした気分を生み出している。   明治45年4月2日から6日まで、東京美術学校で開催された「菱田春草追悼展」に遺族への寄付作品として横山大観が出品した《五柳先生》(六曲一双屏風 東京国立博物館蔵)の登場人物(陶淵明)と酷似しており、本図においては陶淵明に傾倒していた蘇東坡の姿を師岡倉天心の姿と重ね合わせたものと解してよいのではなかろうか。 ・画像1 Lot002 横山大観《舟遊図》(部分)  ・画像2 横山大観《五柳先生》(六曲一双屏風 東京国立博物館藏)  出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)をもとに加工して作成 本作品は、生い茂る葦の様からすれば岸近くなのだろうか、船縁に肘を掛け、長閑な気分で舟遊びに興ずる高士は、頭上を飛ぶ二羽のカササギを見上げることもなく、進行方向に視線を向けている。箱書きにある通り舟遊びの一景を描いたもので、高士の舟遊びをいうとまず、北宋の文人蘇軾(蘇東坡)が友人楊世昌ら三名で赤壁に遊んだ様子を詠んだ「赤壁賦」が思い浮かぶが、本作品においては古戦場として有名な赤壁あたりの景勝地とは異なり、穏やかな流れがゆったりとした気分を生み出している。   明治45年4月2日から6日まで、東京美術学校で開催された「菱田春草追悼展」に遺族への寄付作品として横山大観が出品した《五柳先生》(六曲一双屏風 東京国立博物館蔵)の登場人物(陶淵明)と酷似しており、本図においては陶淵明に傾倒していた蘇東坡の姿を師岡倉天心の姿と重ね合わせたものと解してよいのではなかろうか。 ・画像1 Lot002 横山大観《舟遊図》(部分)  ・画像2 横山大観《五柳先生》(六曲一双屏風 東京国立博物館藏)  出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)をもとに加工して作成
    本作品は、生い茂る葦の様からすれば岸近くなのだろうか、船縁に肘を掛け、長閑な気分で舟遊びに興ずる高士は、頭上を飛ぶ二羽のカササギを見上げることもなく、進行方向に視線を向けている。箱書きにある通り舟遊びの一景を描いたもので、高士の舟遊びをいうとまず、北宋の文人蘇軾(蘇東坡)が友人楊世昌ら三名で赤壁に遊んだ様子を詠んだ「赤壁賦」が思い浮かぶが、本作品においては古戦場として有名な赤壁あたりの景勝地とは異なり、穏やかな流れがゆったりとした気分を生み出している。
     
    明治45年4月2日から6日まで、東京美術学校で開催された「菱田春草追悼展」に遺族への寄付作品として横山大観が出品した《五柳先生》(六曲一双屏風 東京国立博物館蔵)の登場人物(陶淵明)と酷似しており、本図においては陶淵明に傾倒していた蘇東坡の姿を師岡倉天心の姿と重ね合わせたものと解してよいのではなかろうか。

     

     

     

     

    ・画像1 Lot002 横山大観《舟遊図》(部分) 

    ・画像2 横山大観《五柳先生》(六曲一双屏風 東京国立博物館藏)

     出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)をもとに加工して作成

  • 横山大観 (1868 – 1958) 明治元(1868)年、水戸藩士酒井捨彦、寿恵の長男として水戸に生まれる。本名酒井秀麿。明治22年21歳の時、新設された東京美術学校(現東京芸術大学)の第一期生として入学し、4年後同校絵画科第一期生として卒業。その後一時、京都市美術工芸学校(現京都市立芸術大学)教諭として赴任するが一年で同校を依願退職して帰京。28歳で東京美術学校助教授に任ぜられて図案科を受け持ち、同年日本絵画協会第一回絵画共進会に初めて「大観」号を記した《寂静》を出品し褒状二等となる。以降、昭和32年6月に開催された日本美術院同人作品展に《霊峰不二》を出品、翌33年90歳で死去するまでの62年間、明治・大正・昭和三代に渡って常に新感覚の日本画を生み出して画壇を率い続けた。
    出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

    横山大観 (1868 – 1958)

    明治元(1868)年、水戸藩士酒井捨彦、寿恵の長男として水戸に生まれる。本名酒井秀麿。明治22年21歳の時、新設された東京美術学校(現東京芸術大学)の第一期生として入学し、4年後同校絵画科第一期生として卒業。その後一時、京都市美術工芸学校(現京都市立芸術大学)教諭として赴任するが一年で同校を依願退職して帰京。28歳で東京美術学校助教授に任ぜられて図案科を受け持ち、同年日本絵画協会第一回絵画共進会に初めて「大観」号を記した《寂静》を出品し褒状二等となる。以降、昭和32年6月に開催された日本美術院同人作品展に《霊峰不二》を出品、翌33年90歳で死去するまでの62年間、明治・大正・昭和三代に渡って常に新感覚の日本画を生み出して画壇を率い続けた。
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    異例の早さで梅雨が明け、夏本番となりました。
    祇園祭がはじまり、京の町がより一層賑わう季節、ぜひお祭りのご見学かたがた弊社下見会へもお運びくださいませ。
    今回の横山大観《舟遊図》ほか、出品作品は【大入札会専用サイト】でご覧いただけます。
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    大入札会下見会 開催概要
    2025年 7月7日 – 7月13日  *入札締切 17:00
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