大入札会 特集記事Ⅲ アンフォルメル

  • 大入札会 特集記事Ⅲ アンフォルメル

    思文閣大入札会 特集記事Ⅲのテーマは「アンフォルメル」 抽象や前衛美術を語る際、必ずといっていいほど耳にする言葉ではないでしょうか。今回は、「アンフォルメル」を軸に、今井俊満や堂本尚郎、白髪一雄やアンフォルメル旋風の立役者のひとり、サム・フランシスを取り上げ、そのつながりと芸術を紐解いてゆきます。
  • 今井俊満(1928–2002)の「Feu d'artifice」(Lot 310)、フランス語で「花火」と題されたこの作品では、激しく飛び散るように施された絵の具が、何色も折り重なり積み重なり、なにか強い感情を私たちに訴えかけて来るようです。このような、かたちのないかたちを描き、ほとばしるような熱い感情を込めた作風からは、はっきりと「アンフォルメル」の影響がみてとれます。 「アンフォルメル (informel)」とは、フランス語で「不定形」という意味。批評家のミシェル・タピエ(1909–1987)が提唱した概念です。 彼の主導のもと、1950年代のはじめにフランス・パリで「アール・アンフォルメル」(不定形の芸術)として括られ、米・ニューヨークや日本でも盛り上がりつつあったアクションペインティングなどの抽象表現主義とも呼応しながら、美術史上に多大な影響を及ぼしました。 それは、定規やコンパスで描く幾何学的な抽象絵画とは異なり、画家のアクションや生々しいマチエールに注目した、定形にとらわれない形象を主体とする絵画表現であり、幾何学的抽象絵画が「冷たい抽象」と比喩されるのに対して、アンフォルメルは、感情に訴える激しい表現から「熱い抽象」とも呼ばれました。

    Lot310 今井俊満 Feu d'artifice

    今井俊満(1928–2002)の「Feu d'artifice」(Lot 310)、フランス語で「花火」と題されたこの作品では、激しく飛び散るように施された絵の具が、何色も折り重なり積み重なり、なにか強い感情を私たちに訴えかけて来るようです。このような、かたちのないかたちを描き、ほとばしるような熱い感情を込めた作風からは、はっきりと「アンフォルメル」の影響がみてとれます。
     
    「アンフォルメル (informel)」とは、フランス語で「不定形」という意味。批評家のミシェル・タピエ(1909–1987)が提唱した概念です。

     

    彼の主導のもと、1950年代のはじめにフランス・パリで「アール・アンフォルメル」(不定形の芸術)として括られ、米・ニューヨークや日本でも盛り上がりつつあったアクションペインティングなどの抽象表現主義とも呼応しながら、美術史上に多大な影響を及ぼしました。
    それは、定規やコンパスで描く幾何学的な抽象絵画とは異なり、画家のアクションや生々しいマチエールに注目した、定形にとらわれない形象を主体とする絵画表現であり、幾何学的抽象絵画が「冷たい抽象」と比喩されるのに対して、アンフォルメルは、感情に訴える激しい表現から「熱い抽象」とも呼ばれました。
  • 今井がパリに移り住んだのは1952年のこと。ほどなくして、米国人の画家サム・フランシス(1923–1994)の仲介でタピエと知り合います。そして、その力強くも繊細な絵の具の重なりの迫力によって、一躍、アンフォルメルを代表する画家のひとりとなったのです。 今回の出品作品は、1968年にパリで制作されたもので、日仏を頻繁に行き来しながら国際的に活躍していた時期のものです。この作風は70年代まで進展し、今井の画業前半を特徴づけるものとなっています。
    Lot310 今井俊満 Feu d'artifice(撮影協力:アルフレックス ジャパン)
    今井がパリに移り住んだのは1952年のこと。ほどなくして、米国人の画家サム・フランシス(1923–1994)の仲介でタピエと知り合います。そして、その力強くも繊細な絵の具の重なりの迫力によって、一躍、アンフォルメルを代表する画家のひとりとなったのです。
    今回の出品作品は、1968年にパリで制作されたもので、日仏を頻繁に行き来しながら国際的に活躍していた時期のものです。この作風は70年代まで進展し、今井の画業前半を特徴づけるものとなっています。
  • さて、このアンフォルメルに参加した日本人画家には、堂本尚郎(1928–2013)がいました。日本画家・堂本印象(1891–1975)を伯父に持つ尚郎は、もともと日本画を描いていましたが、1955年にパリに渡り、そこでの経験を経て次第に油彩画の制作へとシフトします。翌年、今井俊満の紹介でタピエと知り合い、アンフォルメル運動に参加することになりました。
    今回の出品作品は、いずれも日本へ帰国後のものですが、貧しい生活の中、同志の画家たちと励まし合って制作に勤しんだアンフォルメル時代は、技法や画風のみならず、精神面でも堂本尚郎という画家の成立に欠かせない経験だったことでしょう。ここで得た表現を、自らの内面に落とし込むことによって、今回の出品のような、堂本尚郎ならではの抽象絵画が完成していったのです(Lot 304・311)
    •   Lot304 堂本尚郎 作品(撮影協力:アルフレックス ジャパン)
        Lot304 堂本尚郎 作品(撮影協&#...
    •   Lot311 堂本尚郎 作品(撮影協力:アルフレックス ジャパン)
        Lot311 堂本尚郎 作品(撮影協&#...
  • ところで、アンフォルメルの提唱者ミシェル・タピエといえば、関西を拠点に活動した前衛美術グループ、具体美術協会(具体)を高く評価し、世界に紹介したことでも知られています。実は、タピエが具体を知るきっかけを作ったのはこの堂本尚郎でした。具体の指導者であった吉原治良(1905–1972)は、かねてより堂本印象と懇意で、その甥である尚郎が渡仏する際に、自らのグループの機関誌である「具体」を帯同してもらい、尚郎がそれをタピエに渡したことが始まりになったというのです。「具体」からは、その代表作家・白髪一雄(1924–2008)の小品を掲載しています(Lot 309)

    Lot309 白髪一雄 作品

    ところで、アンフォルメルの提唱者ミシェル・タピエといえば、関西を拠点に活動した前衛美術グループ、具体美術協会(具体)を高く評価し、世界に紹介したことでも知られています。実は、タピエが具体を知るきっかけを作ったのはこの堂本尚郎でした。具体の指導者であった吉原治良(1905–1972)は、かねてより堂本印象と懇意で、その甥である尚郎が渡仏する際に、自らのグループの機関誌である「具体」を帯同してもらい、尚郎がそれをタピエに渡したことが始まりになったというのです。「具体」からは、その代表作家・白髪一雄(1924–2008)の小品を掲載しています(Lot 309)
  • 今井俊満をタピエに紹介したということで少し触れたサム・フランシスは、米国の抽象表現主義を代表する画家ですが、彼もまた1950年27歳でパリに渡り、1953年にはタピエ主催の展覧会に参加しています。その後、1957年には日本を訪れ、「アンフォルメル旋風」の立役者の一人となります。彼自身も、水墨画のような滲みや飛沫、余白をとった構図など、日本文化からの影響も取り入れながら、独自の作風を完成させてゆきます。今回の作品(Lot 307)は、70年代後半に制作されたものですが、アンフォルメルの熱情が、画家としてのフランシスの出発に大きく関わっていたことを見落とすことはできないでしょう。

    Lot307 サム・フランシス 作品(撮影協力:アルフレックス ジャパン)

    今井俊満をタピエに紹介したということで少し触れたサム・フランシスは、米国の抽象表現主義を代表する画家ですが、彼もまた1950年27歳でパリに渡り、1953年にはタピエ主催の展覧会に参加しています。その後、1957年には日本を訪れ、「アンフォルメル旋風」の立役者の一人となります。彼自身も、水墨画のような滲みや飛沫、余白をとった構図など、日本文化からの影響も取り入れながら、独自の作風を完成させてゆきます。今回の作品(Lot 307)は、70年代後半に制作されたものですが、アンフォルメルの熱情が、画家としてのフランシスの出発に大きく関わっていたことを見落とすことはできないでしょう。
  • アメリカ(ニューヨーク)やフランス(パリ)、そして日本、大戦後の世界各地で共時的に盛り上がっていった抽象絵画・前衛芸術運動の、ひとつのスパークポイントとして、アンフォルメルがあったといえるでしょう。ちょうど、今井の作品が Feu d'artifice(花火)というように、パリの夜空に上がった大輪の花ということができるかもしれません。その熱き芸術的衝動とそれが生み出す感動は、世界各地に、そして後世の我々へとたしかに伝えられています。

     

     

    今回ご紹介した作品を含め、思文閣大入札会増刊号への出品作品は、思文閣銀座にてご覧いただけます。
    初夏の風が心地よい季節、ぜひお運びくださいませ。
    5月19日~5月25日 10:00~18:00 最終日は17:00まで
    思文閣銀座 <Google Maps>